尾崎建設株式会社

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尾崎建設のあゆみ HISTORY

尾崎建設は大正13年(1924)、高知県高知市にて創業しました。

創業当時の初代社長 尾﨑盛澄

当時の高知市は人口約65,000人、国鉄高知線(現・JR土讃線)の日下〜高知間が開業して、初代高知駅が誕生した年でした。初代社長は尾﨑盛澄。国道や県道などの改修工事に従事したのち独立、23歳にして会社を立ち上げました。

初代盛澄の信念は「正しいと判断したことは損得を考えず、とことんまでやりとげる」ことで、無口ながら誠実でやさしい人柄でした。戦中は人手が足りず苦労しましたが、戦後復興の時代は高知県建設業協会の創立メンバーとして尽力し、多くの公共事業を請け負いました。

尾崎建設 創業の地 (高知市追手筋一丁目)

2代目盛隆は高等学校を卒業後出征し、台湾で終戦を迎えたあと、高知に戻り尾崎建設に入社。オートバイで県内の現場を駆け回る日々を送ります。昭和30年代に入ると橋梁の架替工事を多く手がけ、今でも上仁淀橋(仁淀川町)、香北橋(香美市)、香麗橋(香美市)などが現役で利用されています。

そのような中、初代盛澄が脳卒中を患い経営の一線から退きます。さらに当時の本社が火災に見舞われ、昭和44年には初代盛澄が永眠。度重なる試練が襲うなか、盛隆は尾崎建設を継承します。

マイナスからのスタートでしたが、果敢で行動力もあった盛隆は、就任後に現在の八反町へ本社を移し、地道に努力を重ね、尾崎建設は見事に復活を遂げます。バブル期も身の丈に合った堅実な経営を続け、引退するまで一貫して現場主義を貫きました。

測量機やドローンなど最新のデジタル機器を積極的に導入

3代目盛裕は「会社は社員第一」と考え、就任後間もなく社員全員の月給制を取り入れました。

ところが会社を継いで早々、バブル景気が崩壊。平成14年の高知国体を境に、それまで受注していた公共事業の仕事は減り始め、経営がかなり悪化していきました。当時山のようにあった同業者が次々と倒産するなか、尾崎建設は下請け工事もいとわず、時には全く利益のない仕事まで受けてなんとか耐え忍んできました。

そのような中、高知県の建設業界は、年を追うごとに少しずつ回復しだし、真の実力が試される時代へと変わっていきました。それだけに、社員一人一人の技術をレベルアップする必要があると考えた盛裕は、デジタル機器も積極的に導入し、バックアップ体制のさらなる強化をスタート。同時に、社員の生活の安定と向上のため、月給制に加え休日を確保するなど、安心して働ける環境づくりに努めました。

4代目を継承したのが現社長の徹哉。
社員が安心して気持ちよく働くことのできる土壌をつくるため、専務時代から働き方改革や情報の見える化に取り組んできました。
会社は2024年2月に100周年を迎え、新社屋への移転も完了。
着実に会社の基礎を固め、人材育成をしっかりと行い、さらなる成長を目指しています。

初代社長 尾﨑 盛澄

初代社長

尾﨑 盛澄

(1924年2月〜1969年2月)

尾崎建設の創業者。大正末期から数多くの工事を手がけ、尾崎建設の基礎を築いた。
昭和22年(1947)高知県土建工業会(現・一般社団法人高知県建設業協会)が結成されると理事として参画。昭和31年(1956)からは第4代会長を務めた。
また同年、自らが理事長となって高知県土木建築業協同組合(現・高知県建設業協同組合)を創立。
西日本建設業保証株式会社取締役、四国建設業協会連合会会長、全国建設業協会理事などの要職につき、地方産業の発展に貢献した。

2代目社長 尾﨑 盛隆

2代目社長

尾﨑 盛隆

(1969年2月〜1992年8月)

昭和44年(1969)2月、先代の逝去に伴い44歳で事業を継承。
同年6月に前年類焼した本社を追手筋から八反町(現在地)へ移転させ、7月には高知地区建設業協会副会長に就任。また9月に会社を改組し、新たなスタートを切った。
一貫して堅実経営を続け、平成4年(1992)に会長となり、経営の一線を退いた。

3代目社長 尾﨑 盛隆

3代目社長

尾﨑 盛裕

(1992年8月〜2022年8月)

平成4年(1992)8月、3代目社長に就任。社長就任後間もなく、社員の給与体制・福利厚生の見直しに着手。作業員に至るまで月給制とし、社員第一の環境づくりに取り組む。また、安全面でも労働安全コンサルタントと顧問契約を結ぶなど、安全管理に注力する。平成28年5月からは、高知地区建設業協会会長・高知県建設業協会高知支部支部長を務めている。令和4年(2022)に取締役会長となり、経営の第一線を退く。

4代目社長 尾﨑 徹哉

4代目社長

尾﨑 徹哉

(2022年8月〜)

令和4年(2022)8月、4代目社長に就任。
専務時代から部署・現場横断での情報共有や、人事評価の見える化を推進。社員が主体的に働くことのできる職場環境の構築に注力してきました。社長就任後は新社屋の建設や、会社の指針となる長期ビジョンの策定などを進め、より魅力的で持続可能な会社にするべく努めている。

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沿革 COMPANY HISTORY

1924年(大正13年)2月1日
尾﨑盛澄、総合建設業尾崎組を創業
1947年(昭和22年)9月18日
高知県土建工業会(現・一般社団法人高知県建設業協会)設立により会員
1951年(昭和26年)2月2日
尾崎建設株式会社に組織変更(資本金150万円)
尾﨑盛澄、取締役社長に就任
1951年(昭和26年)3月10日
最初の建設業者登録(高知県知事登録)
1956年(昭和31年)10月2日
取締役社長尾﨑盛澄、高知県建設業協会会長に就任
1959年(昭和34年)5月10日
資本金を400万円に増資
1964年(昭和39年)11月3日
取締役社長尾﨑盛澄、黄綬褒章受章
1969年(昭和44年)2月22日
取締役社長尾﨑盛澄逝去(従六位勲五等瑞宝章を追贈される)
1969年(昭和44年)2月28日
尾﨑盛隆、代表取締役に就任
1969年(昭和44年)6月1日
高知市追手筋26番地から高知市八反町44番地に本社移転
1969年(昭和44年)9月11日
尾崎建設株式会社を改組(資本金100万円)
1973年(昭和48年)4月13日
建設業法改正により高知県知事一般建設業許可第363号
1978年(昭和53年)8月13日
資本金を400万円に増資
1978年(昭和53年)9月1日
資本金を1,200万円に増資
1980年(昭和55年)2月16日
高知県知事特定建設業許可
1989年(平成元年)1月21日
資本金を1,800万円に増資
1990年(平成2年)5月25日
資本金を2,000万円に増資
1992年(平成4年)8月31日
尾﨑盛隆、代表取締役会長に就任/尾﨑盛裕、代表取締役に就任
1994年(平成6年)8月13日
資本金を3,000万円に増資
1995年(平成7年)11月22日
尾﨑盛隆、代表取締役会長を辞任
2009年(平成21年)11月16日
ISO9001:2008認証取得
2011年(平成23年)11月21日
ISO14001:2004認証取得
2013年(平成25年)4月1日
高知県建設業BCP認定取得
2016年(平成28年)5月11日
代表取締役尾﨑盛裕、
高知地区建設業協会会長・高知県建設業協会高知支部支部長に就任
2017年(平成29年)8月22日
ISO9001・ISO14001:2015年版に移行
2020年(令和2年)7月10日
代表取締役尾﨑盛裕、国土交通大臣表彰受賞
2022年(令和4年)8月23日
尾﨑盛裕、取締役会長に就任/尾﨑徹哉、代表取締役社長に就任
2023年(令和5年)4月29日
取締役会長尾﨑盛裕、黄綬褒章受章
2023年(令和5年)10月3日
高知労働局長表彰「奨励賞」(安全確保対策)受賞
2023年(令和5年)11月16日
ISO45001:2018認証取得
2024年(令和6年)2月1日
創業100周年を迎え、新社屋完成